飯田市平和祈念館が元731部隊員の「証言」パネルの展示を見送り 代表名で再考を要請

2022/10/01

声明・決議・要請

 長野県飯田市の平和祈念館が同県出身の元731部隊員の「証言」パネルの展示を見送ったことについて、戦争と医学医療研究会拡大世話人会は横山隆代表名で同市の佐藤健市長に再考を求める以下のような要請書を郵送しました。


2022年9月30日
飯田市
  市長 佐藤 健 様
戦争と医学医療研究会 代表 横山 隆

飯田市平和祈念館の展示に関する要請

 日頃の貴職のご活躍に敬意を表します。
 私たちは、2000年に「15年戦争と日本の医学医療研究会」としてスタートし、15年戦争(1931年の柳条湖事件から1945年のポツダム宣言受諾までの日本が関わった戦争)をめぐる日本の医学医療界の責任の解明を目的とし、そのための史実・証言の収集、調査と研究を進めてきました。2021年に名称を「戦争と医学医療研究会」と改め、より広い範囲を対象として取り組みを続けている研究団体で、日本学術会議の協力学術研究団体にもなっています。

 飯田市に本年5月、長年の市民の要望と運動を基に平和祈念館がオープンされたことは、私たちも大いに期待し喜んでいたところです。
 ところが、報道等によれば市民有志の方々が収集して寄託された戦争に関わる資料の中で、731部隊(正式名は関東軍防疫給水部本部、通称号・満州七三一部隊)に関わるもの、特に長野県出身の元731部隊員の方々の「証言(パネル)」が、展示されないこと、その理由が、「731部隊については国が公式に認めていないから」、と言うのは少し違和感を覚えます。なぜなら、731部隊による細菌戦被害を受けた中国人遺族たちが1997年から東京地裁に提訴し、2007年に最高裁で結審した「細菌戦裁判(原告180人)」では、原告敗訴となったものの、東京高裁は731部隊等の防疫給水部が生物兵器開発の研究・製造を行い、さらに中国の各地で実戦使用したこと、そして多数の死傷者などの被害を生んだ事実を認定し確定しています。また、家永教科書裁判でも、史実として、731部隊の事実は認めています。そのため、高校生の歴史参考書にも、731部隊のことは記載されています。したがって、元731部隊少年兵の方達が、ギリギリまで悩んだ末に決断した「証言」はまさに貴重な歴史証言です。
 かつて、飯田市がかかわって力を注いで来られた満蒙開拓団の実態把握と後世への記録の継承という事業では、まさに当事者の「証言」が中心的な意味と価値をもっています。飯田市歴史研究所が、地元の元満蒙開拓団の方々(生還者)を丹念に訪問して収録した膨大な体験の口述記録は、オーラルヒストリーの金字塔だと言われています。命からがら、身一つで辛うじて帰還できた人たちの実態把握は、「口述」の収録がその大半をなしています。731部隊に関しても同様です。一部の高級幹部を除く大半の元731部隊員たちは、気が付けば人道に反するようなことに関わらされ、緘口令を敷かれ、もし口外すれば「非国民」と非難されるかもしれない恐怖を抱えながら戦後を生きてきました。その中で、二度と次世代がこのようなことを繰り返さないためにと、意を決して行った稀有な元隊員の「証言」こそ、まさに貴重です。
 ホームページで拝見すると、「飯田市平和祈念館は、戦争の悲惨さや平和の大切さを学び、戦争の現実を語り継ぐことにより、平和な社会が続くことを切望する、多くの市民の願いによって開設されました」とあり、市民が収集した展示品を通じ、「内外の‟戦争の惨禍“の真実から一人ひとりが‟平和とは何か、そのために何をすべきか、何ができるのか”を考えて、次世代に平和の大切さを語り継ぎます」とうたっています。
 以上より、私たちは貴祈念館が731部隊の資料や「証言」も排除することなく展示していただけるよう再考されることを望みます。