定例研究会の抄録集

2025/03/11

研究集会・研究会

 

戦争と医学医療研究会 第54回定例研究会  抄録集

2025323日、大阪

 

【記念講演】10:1512:05                  座長 横山 隆

ベトナム戦争と枯葉剤          城戸照彦(金沢大学)

ベトナム戦争は1954-75年までベトナムが米国と戦い、勝利した。その間米国は1971年まで枯葉剤作戦を実施した。枯葉剤には発がん性や生殖毒性、内分泌や免疫系の異常が指摘されているダイオキシンが含まれていた。我々は2002年よりハノイ医科大学と共同で枯葉剤散布地区と非散布地区の母親の母乳中ダイオキシンを測定し、散布地区が2-3倍高く、枯葉剤作戦中止後30年以上経過してもダイオキシンが残留していた。2008年よりステロイドホルモンに注目し、小児の追跡調査を実施し、各種ホルモンがかく乱されていることを明らかにした。2019年からJICA草の根技術支援活動「枯葉剤/ダイオキシン濃厚汚染地区における低体重児の発育改善プロジェクト」で、18コミューンの低体重児出生率を比較し、枯葉剤が濃厚散布された山岳地帯のコミューンで高いことを示した。

 

一般演題】 13:4015:40               座長  大野義一朗 

1340   731部隊の証言 ~記録し伝え遺すこと~             西里扶甬子

    

 戦後80年経って、従軍体験や戦争体験を語れる人々は残り少なくなってきた。自分自身もいつの間にか高齢に達して、今のうちに動画や音声で記録した証言などを整理しなければと日々思う。731部隊はライフワークとして調べ初めてから、30年以上になる。731部隊に直接間接に関わった人たちは膨大な数になると思うが、私が直接取材した関係者の中から、余り紹介されていないケースを選んで、若干の解説を加えて紹介したい。また、直接接触しなくても、本人が書き残したものに出会うことがある。「撫順戦犯管理所」に収容された日本人の供述書がその顕著な例である。1000人余りの供述書が残っているが、中に56人の731部隊関係者がいる。また、14歳から17歳くらいで軍属として入隊した少年隊員は戦後「房友会」を結成し、153号に及ぶ雑誌「房友」を遺している。これ等の「書き遺されたもの」もビデオなどに次いで大切な証言だと思う。いわゆる聞き書き(オラルヒストリー)や、出版目的に整理されたものではないことがこれらの証言の価値であると思う。限られた時間にどれだけ紹介できるか分からないが、「戦争の狂気」が生み出した「生物兵器」と「人体実験」の実態を戒めをこめて伝えてゆかなければならないと思っている。

 

1410  1946年~ 中国・平房周辺におけるペスト流行に関する史料」の解題

  731部隊罪証陳列館からいただいた史料の紹介と考察       原 文夫               

昨年8月、元731部隊少年隊員・清水英男さんが79年ぶりに中国の旧日本軍731部隊跡および侵華日軍第731部隊罪証陳列館を訪問し、中国では大きな注目を浴びた。私は清水さんに同行し責任者を務めた。その折、罪証陳列館の金成民館長から、同館が保有する「1946年当時の731部隊跡周辺で起きたペスト流行に関する史料類(コピー)」の提供を受けた。

 最近になり、1946年から50年代の当地でのペスト流行及び被害状況はまとめられていくつかの文献になっているが、その元資料となった被害者等への罪証陳列館による聞き取りデータや、当人たちが記した訴え文等を手にするのは初めてだった。全文が中国語のため私が翻訳して読み解くこととした。

 A4版の当史料は、手書きで判読が難しいものも含め計110枚にわたる。その内容は、当時のペスト流行で全19人の家族中12人を亡くし、辛くも生き残った靖福和氏による「申立て書」等が大半を占めている。

 ここでは、①史料の概要と意義、②当時の平房周辺でのペスト被害の概要、③靖福和氏の闘いを辿る、という構成で史料を紹介し、また関連した出来事や文献等にも触れてみたい。

 

1440    戸田正三の衛生学                       末永恵子

 

 戸田正三は、京都帝国大学医学部衛生学講座教授で、医学部長・学術研究会議委員・同仁会理事・日本医療団総裁・金沢大学学長・日本学術会議会員等を歴任し、かつ731部隊へ京大の若手研究者を派遣したキーパーソンとしても有名である。しかし、彼とその教室による衛生学研究の事績を明らかにした研究は、顕彰的な記事以外には皆無と言ってよい。

 本発表では、戸田正三の衛生学をトータルにとらえ、衛生学史の流れの中に位置づけたいと考える。具体的には、時期区分を行い、その時期の特徴を把握することで、時代に即した、あるいは時代を先取りした衛生学研究を行ってきたことを明らかにしたい。なぜ戦中から戦後にいたるまで戸田が、学界に影響力を持ちえたのかその問いも含めて考察する。

 

1510  中支那防疫給水部(栄1644部隊)の隊員構成国立公文書館が公開した関連兵站病院の留守名簿の調査結果      西山勝夫(滋賀医科大学名誉教授)

 

 国立公文書館が2016年以降に公開した『留守名簿 関東軍防疫給水部』『関東軍防疫給水部 復七名簿』『留守名簿(南方) 南方軍防疫給水部岡第9420部隊』『留守名簿(支那) 北支那防疫給水部・甲第1855部隊』『留守名簿 関東軍軍馬防疫廠』については本研究会で紹介し、刊行も不二出版社によりなされた。その経緯と国立公文書館の公開における様々な制約については、本会会誌19(1)(2019)で明らかにした。

 存在が明らかでなかった栄1644部隊、波8604部隊の『留守名簿』についてはめぼしい兵站病院の留守名簿を公開させた結果、将校らの隊員が記載されていることを確認し、本会会誌19(2)(2019)で明らかにした。

また、両『留守名簿』は国立公文書館にではなく、厚生労働省に保管されていることを明らかにさせた。厚生労働大臣に対して2019年末に開示請求、翌年には審査請求したが、公開されたのは表紙部分にとどまっている。両『留守名簿』は2024年度になって国立公文書館に移管されたが、公開がいつになるのかは定かでない。そこで栄1644部隊(正式名「中支那防疫給水部」について、関連11兵站病院累計約5500名から抽出し検討することにした。

本定例研究会では、抽出された隊員の諸属性を調べ、重複を除外した1504名について、従来と同様に、諸属性の分布を関東軍防疫給水部、北支那防疫給水部、南方軍防疫給水部と比較検討した結果を主に報告する。