2025秋の研究集会(第55回定例研究会、10月26日、東京大空襲・戦災資料センター、Zoom会議室併用)の一般演題の抄録は以下の通りです(発表順)。開催要領と参加申し込みはこちらのページをごらんください。
2025年度に公開された中支那・南支那・北支那の防疫給水部及び南支那軍馬防疫廠の留守名簿に基づく実態
西山勝夫(滋賀医科大学)、原文夫(戦争と医学医療研究会会員)、竹上勝利(中支防疫給水部所属衛生兵の子)
演者らは、2019年に、中支那・南支那の防疫給水部の留守名簿が厚生労働省に保管されていることを確認した。以来それらの公開を追求してきた。
同留守名簿は国立公文書館に移管され、2025年3月28日に要審査公開公文書として告示された。告示された公文書の中には北支那の防疫給水部及び南支那軍馬防疫廠の留守名簿もあった。これらの開示を請求した結果、4月か6月にかけて、開示公開(一部部分開示)の決定がなされた。開示決定がなされた留守名簿の画像を入手し、スプレッドシート上に翻刻し、閲覧を容易にするだけでなくコンピュータソフトによる集計・解析を可能にし、提供できるようにした。学位授与歴などの調査にいかすために個々の部隊について1945年に所属していた医師、獣医や看護婦などを抽出した。さらに、これまで入手した関東軍防疫給水部、南方軍防疫給水部、関東軍軍馬防疫廠の留守名簿の翻刻データと統合し、集計結果を比較することにより、日本軍の細菌戦ネットワークの実態の解明を目指した結果について報告する。
同留守名簿は国立公文書館に移管され、2025年3月28日に要審査公開公文書として告示された。告示された公文書の中には北支那の防疫給水部及び南支那軍馬防疫廠の留守名簿もあった。これらの開示を請求した結果、4月か6月にかけて、開示公開(一部部分開示)の決定がなされた。開示決定がなされた留守名簿の画像を入手し、スプレッドシート上に翻刻し、閲覧を容易にするだけでなくコンピュータソフトによる集計・解析を可能にし、提供できるようにした。学位授与歴などの調査にいかすために個々の部隊について1945年に所属していた医師、獣医や看護婦などを抽出した。さらに、これまで入手した関東軍防疫給水部、南方軍防疫給水部、関東軍軍馬防疫廠の留守名簿の翻刻データと統合し、集計結果を比較することにより、日本軍の細菌戦ネットワークの実態の解明を目指した結果について報告する。
北支那防疫給水部 横山正松と中西陽一
佐藤公男(戦争と医学医療研究会北陸支部)
当時県議で元加賀市長大幸甚氏との会合で、石川県知事中西陽一氏が「731部隊」に所属していたことを知った。8期31年間県知事を務めた中西氏、福島で活動し同郷人である横山正松氏、この二人の関係性を究明すべく関心が高まった。内務省官僚から北支那防疫給水部北京本部(天壇)に配属された中西氏、同部隊鄭州支部郭城出張所に属した横山氏、この二人の軍歴を調べ、さらに「戦後の歩み」を比較検討した。
「留守名簿」による在軍確認と著書『問わず語らず』による解明、アジア歴史資料センター「北支那防疫給水部業務詳報」や末永恵子氏の「会誌」研究論文と動画等を参照した。
中西氏と横山氏の部隊内における接点は詳しくは分からない。しかし、敗戦間際の中西氏は鄭州支部経理課に、横山氏は鄭州支部第1課附けとなり、復員ルートも異なっていた。
軍歴を隠しながら県政に君臨した中西氏と、人体実験命令を拒否し核兵器廃絶のため尽力した横山氏、異なる二人の生涯を通して”731部隊が遺したもの”を知ることができた。
中西知事退任後は、同じ京大法学部卒で自治省出身の谷本正憲氏が28年間務め、官僚出身者による石川県政が59年間つづいたのである。
731部隊と北海道の関係を追って
内山岳志(北海道新聞東京報道センター)、鈴木孝典(同)
「731部隊の名簿が東京で公開される。内山、取材しないか」。今年4月、札幌本社の先輩からこんなメールが来た。記者になって20年を超え、毎年戦争に関わる取材をしてきた。シベリア抑留、満蒙開拓義勇団、被爆者、空襲被害者などのインタビューを行ってきたが、731部隊は経験がなかったし、そのチャンスもなかった。「これも何かの縁」と早速メールに返信し、取材対象として731部隊と向き合う事ぞ、と腹をくくった。苦難の半年が始まった。
関連した書籍を読み漁ると、改めて部隊の活動の残酷さが身に染みる。そして職員名簿にあたる「留守名簿」の公開が最近になってやっと始まったことも知る。そして西山先生たちの記者会見に臨んだ。
われわれは北海道新聞なので、731部隊と北海道との関連をどう結びつけて主読者である道民に伝えるか。この点をまず考えた。すると今年5月に公開された留守名簿にも、多くの北海道関係がいることが見えてきた。そこで、すでに公開された名簿も含め、北海道関係者が何人いるのかを突き止めることにした。国立公文書館に閲覧依頼をかけて、同僚と2人名簿の実物と向き合った。80年前に作られ、初めて公開された重みに、ページをめくる手が緊張で固くなった。その後の顛末は会場で披露したい。
関連した書籍を読み漁ると、改めて部隊の活動の残酷さが身に染みる。そして職員名簿にあたる「留守名簿」の公開が最近になってやっと始まったことも知る。そして西山先生たちの記者会見に臨んだ。
われわれは北海道新聞なので、731部隊と北海道との関連をどう結びつけて主読者である道民に伝えるか。この点をまず考えた。すると今年5月に公開された留守名簿にも、多くの北海道関係がいることが見えてきた。そこで、すでに公開された名簿も含め、北海道関係者が何人いるのかを突き止めることにした。国立公文書館に閲覧依頼をかけて、同僚と2人名簿の実物と向き合った。80年前に作られ、初めて公開された重みに、ページをめくる手が緊張で固くなった。その後の顛末は会場で披露したい。