第49回研究会の一般演題抄録

2022/10/09

研究集会・研究会

 第49回定例研究会(10月23日、オンライン)の一般演題の抄録は以下の通りです。講演の抄録はこちらをご覧ください。また抄録集はこちらです。

1. 満洲医科大学の巡廻診療  末永恵子(福島県立医科大学)

 報告者は、満洲における植民地医学について満洲医科大学を中心に考察してきた(『戦時医学の実態』樹花舎,2005年、Bodies in the Service of the Japanese Empire: Colonial Medicine in Manchuria, Asia-Pacific Journal Japan Focus,19(24), 2021年など)。そして、その基本資料を『満洲医科大学―外地「いのち」の資料集』(金沢文圃閣、2020年)にまとめた。さらに、この第2弾として満洲医科大学が実施した巡廻診療の報告書(12回分)を収録する予定である。
 この巡廻診療に関しては、すでに伊力娜「満洲医科大学の内モンゴル地域における巡回診療」(『国際文化論集』41, 2009年)の研究があるが、巡回診療報告書全般の検討にとどまる。
 そこで、本報告では、なぜ満洲医科大学が巡廻診療を実施するようになったのか、その具体的動機に注目した上で、その展開を当時の満鉄や軍および地域社会の動向の中に位置づけたい。そして、この成果を上記資料集の「解説」に盛り込む予定である。

2. 南方軍防疫給水部新発見史料について  Lim Shao Bin(シンガポール独立研究員)

新資料1:米軍軍医ショートが書いたビルマ・バスツール研究所調査報告書を発見
 1945年5月イギリス軍がラングーンを再占領した直後、アメリカ軍医Dr Leonard V Shortがラングーンにあるビルマ・バスツール研究所に派遣され、聞き取り調査を行い、『Japanese Bacterial Warfare in Rangoon』と題した秘密報告書(1945年6月14日付、番号R250-45)を提出した。英軍側が保存した写しをイギリス公文書館で発見した。ショート医師の未公開の史料である。報告書は4段落に書かれ、それぞれのキーポイントは次である。
2a. 研究所の一階左前の研究室で日本人が神秘的な活動を行われたが、部屋に入ってみると、紙くずと壊れされた試験管、ペトリ皿、培養チューブと他のガラス用品で酷く汚された。
2b. E.E.I. S調査チームは細かく各研究室と破片を調べたが何も得られなかった。大量の16オンスのボトル入りのコレラ・ワクチンを冷蔵庫に見つけたが、たくさん壊れた。ここで予防的な仕事を行われていたと見られた。
2c. 現地人案内役のDr J. P. Samyalによると、日本人が4カ月間、あの研究室で最高秘密な活動を行われていて、現地人医者は立入禁止された。そこで炭疽菌を培養した。また研究所の責任者はDrカミコという人物で、第26軍でも第25軍でもない所属だった、など。
2d. このセンターから、ペスト予防の管理とプロパガンダ(ポスター)を各地へ発信された。直径約1.5から2インチのガラスバルブを発見し、生菌の液体を運ぶ容器と見られた。
 この報告を受けた軍事情報当局は、日本軍の衛生予防的組織(部隊)に過ぎないと見なされた。
 731部隊の重要幹部二人、内藤良一はシンガポールの岡9420部隊に居って、増田知貞がビルマにいることは知られたが、増田知貞がこのパスツール研究所とどのような関係を持っていたかは、深く調べる価値あるのではないか。

新資料2:シンガポールの岡9420部隊検疫所が発行した英文在職証明書に本当の部署名をカバーアップした。
 岡9420部隊の検疫所の責任者小沢勇蔵(技手)が、1945年3月10日に印度人部下のJames Supramaniamがマレーのクアラルンプールへ転職希望したために、公式な在職証明書を日本語版と英語版両方を作成し、Jamesに交付した。
 ところが、日本語版では、勤務部署を検疫所と書いて、James氏の能力と仕事ぶりを絶賛したが、現地人にとって一番重要な英訳版には、所属部署を‟応急部隊“(First Aid Squad)に書き替えられ、所在住所も別な場所であった。
 なぜ、小沢がそうしなければならなっかったのか?それは岡部隊の隠蔽工作(Cover up)なのか、或いは検疫所に限定した隠蔽工作なのかは謎のまま。
 この史料から、言えるのは、岡の留守名簿に記載されない現地隊員(助手)が存在し、出退勤や給与支払い記帳などがあるはずだと考えられる。
注:James Supramaniamは、戦後のシンガポール医学と医療に多大な貢献をし、結核病の父とも呼ばれた人物だった。

新資料3:日本海軍の細菌研究論文を29本発見。
 1945年4月にスラバヤで発生された人体実験(破傷風菌)案について戦後のBC級裁判で判明しのは、犯罪者は海軍の軍医で、犯行は海軍病院を利用した。
 海軍が破傷風菌以外に他の細菌研究をも行われたかどうかを調べたところ、海軍軍医学校研究部という組織に『研究調査成績報告』を持っていたことをアジ歴で見つけた。
 その『研究調査成績報告』の表紙は、陸軍軍医学校防疫研究報告【第2部】の表紙のレイアウトに似っているが、ある‟研究調査報告番号X号“の下に複数の‟研究番号Y”を持つ体系を取られ、報告書(論文)全体の規模を掌握しにくかった。例えば、『研究調査報告番号22号』という親番号の下に、熱傷予防剤を研究する研究番号106号あり、除蚊渦巻線香効力を研究する研究番号137号あり、殺菌力を研究する研究番号144号ある。
 現在、アジ歴で見られるのは、主に1944年に研究を行われた29本論文で、テーマはマラリア、凍傷、熱傷、乾燥血、血清保存、コレラ、X線などだった。
 海軍は731部隊のような細菌戦研究しないという定説に、疑問を持ち初めた。

3. 飯田市平和祈念館で起きている事態に関して 原 文夫(元・大阪府保険医協会事務局長)

 本年5月、長野県飯田市に「平和祈念館」がオープンした。これは地元で「平和のための戦争展」などを取り組み、様々な戦争関連の資料や元軍人など戦争体験者の証言を掘り起こしてきた住民有志の20年来にわたる要望と粘り強い運動が実ったものだった。
 ところが、開館して明らかになったのは、住民有志が収集し準備してきた加害の史実、特に「旧日本軍731部隊」に関する資料や証言の展示が見送られたことで、当時者の住民や元731部隊員たちは、納得できないと抗議を始めた。
 市は展示をしない理由を、「731部隊についてはまだ国が公式に認めていない。祈念館は市の公的施設なので、国(政府)が公式に認めた範囲のものを基準にした」とし、具体的には、2003年10月の、野党議員の国会質問に対する小泉純一郎首相名の「政府答弁書」だとしている。
 本報告では、改めてこの件に分け入って問題点や背景、影響などを探る。

4)第4回Medical Review Auschwitz 国際カンファレンスの報告  大野義一朗(北海道立天売診療所)

 ポーランドのMedical Review Auschwitz project は強制収容所におけるナチス医師の医学犯罪と収容者を守るために努力した医師の両極の医療を科学的に検証することを目的に、アウシュビッツ関連研究論文の英訳アーカイブ作成とクラクフ国際会議の開催を行っている。9月の会議では医師、倫理学、心理学、科学史など8か国11人によるシンポジウムが行われた。参加者は研究者のほか医系学生、医療関係者などであった。
 演者は前回Przeglad Lekarski Oswiecim を邦訳した元軍医金田光雄の報告を行い、今回は金田の従軍した中国で日本軍が行った戦争犯罪の典型として731部隊について報告した。戦医研の成果などをもとにその設立、細菌兵器、人体実験、戦後の隠ぺいとアメリカ軍との取引、元隊員の医学界への浸透と影響を概説した。
 発表に対し、731は知っていたが実態はほとんど知らなかった、被害者に1人の生存者もいないところに特別の特徴がある、倫理を考える上で加害者側の考察が重要などの反応があった。

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