総理大臣、防衛大臣に対して「731部隊に関する米国返還文書の公表に関する
要請」を行うことを2009年11月15日の幹事会で決定
2009年11月15日
内閣総理大臣 鳩山由紀夫 殿
731部隊に関する米国返還文書の公表に関する要請
15年戦争と日本の医学医療研究会
幹事長 刈田啓史郎(東北大学元教授)
15年戦争と日本の医学医療研究会(Research Society for 15 years War and Japanese Medical Science and Service)は15年戦争をめぐる日本の医学医療界の責任の解明を目的として、2000年6月17日に、医師・医学者を主とする全国的な有志により設立されました。本会はその目的達成のために、①15年戦争と日本の医学医療に関する史実・証言の収集調査とその研究、②年2~3回の研究会の開催、③15年戦争と日本の医学医療研究会会誌(Journal of Research Society for 15 years War and Japanese Medical Science and Service)の発行などの事業を行ってきました(詳細は本会ホームページurl: http://war-medicine-ethics.com/をご参照下さい)。
最近の医学・医療の進歩発展は著しく、人類は新たな倫理的問題に直面しています。医学者・医師も自らの問題としてその解決を求められています。その取り組みに際しては、医学・医療のこれまでの歩みを真摯に振り返ることは不可欠です。
しかし、当時の資料の焼却、散逸と残された資料の「未公開」「隠蔽」のために、その全貌は未だに明らかではなく、検証は容易ではありません。731部隊と細菌戦に関しては、当時日本を占領したGHQ(連合軍総司令部)は、関係した多くの医学者・医師に対する訊問をしましたが、研究成果を得るために戦争犯罪を不問とする取引をしました。このような経緯のなかで、日本の医学会・医師会では「真相は不明」「解決済み」あるいは「タブー」とされ、戦時中の医学者・医師による非人道的行為に真摯に向き合い教訓を活かす取り組みがなされないまま、日本は21世紀を迎えました。
かつての戦争中における医学者・医師の非人道的行為について、史実を明らかにし、検証を進めることは、医の倫理の確立やこれからの医学・医療のために不可欠ですが、我が国では日中戦争に関わる資料の公開は、現在までのところ極めて不十分かつ不透明な状態にとどまっています。戦後60年以上が経過し、関係する生存者の証言や当時の資料収集も困難になる中で、検証を進めることが急がれます。なかでも731部隊と細菌戦に関するものは公開されることが稀であり、そのため事実の解明にとって大きな障害になっています。
日本政府は731細菌戦部隊に関する資料公開の必要性を言明したことはあるものの、実際には資料をほとんど公開してきませんでした。
1986年9月、米下院復員軍人委補償関係小委員会の公聴会において、ハッチャー国防総省記録管理部長は、「731部隊の資料が50年代後半に日本に返還されている」と言明しました。日本の国会図書館側の結果では、「731部隊に関する第一次資料は、日本へ返却後、最初外務省復員局に渡され、その後防衛庁が設置された際、外務省から防衛庁に移され、さらに戦史室の開設に伴い、戦史室に移された」(『朝日新聞』1986年9月19日)とされています。
1992年5月14日、参議院内閣委員会における国立公文書館の板東説明員の「731部隊に関するGHQからの返還資料につきましては、当館所蔵の資料の中に、満州第731部隊陸軍医師吉村寿人氏によって著されました『凍傷について』という資料がございます」という答弁や、防衛庁の畠山政府委員の「昭和33年4月、防衛庁は米国が押収しました旧軍資料の返還を受けておりまして、現在、戦史に関する調査研究に資するために防衛研究所におきまして約4万件の資料を保管しておりますが、その中には、御指摘にございました、いわゆる731部隊の活動状況を示すような資料はございません」という答弁は、先のハッチャー記録管理部長の言明と合致しません。
以上の理由により、本会は、防衛大臣に対し、731部隊と細菌戦に関する米国返還文書の米国作成の目録と日本で作成されているはずの目録と米国返還文書の所在の公表並びに米国返還文書の公表措置を強く要請します。
なお、防衛大臣北澤俊美殿にも同文の要請をしていますことを付記致します。
以上
連絡先:〒520-2192 大津市瀬田月輪町 滋賀医科大学社会医学講座衛生学部門内
15年戦争と日本の医学医療研究会事務局
E-mail: warandmedicine@aol.com
(防衛大臣北澤俊美殿への要請は、同文で、宛先を防衛大臣北澤俊美殿に差し替えるなどしたものです)