国立公文書館における公文書の公開に関する声明
15 年戦争と日本の医学医療研究会(Research Society for 15 years War and Japanese Medical Science and Service)は 15 年戦争をめぐる日本の医学医療界の責任の解明を目的として、2000 年 6 月 17 日に、医師・医学者を主とする全国的な有志により設立されました。本会はその目的達成のために、①15 年戦争と日本の医学医療に関する史実・証言の収集調査とその研究、②年 2~3 回の研究会の開催、③15 年戦争と日本の医学医療研究会会誌(Journal of Research Society for 15 years War and Japanese Medical Science and Service)の発行などの事業を行ってきました。
最近の医学・医療の進歩発展は著しく、人類は新たな倫理的問題に直面しています。医学者・医師も自らの問題としてその解決を求められています。その取り組みに際しては、医学・医療のこれまでの歩みを真摯に振り返ることは不可欠です。
しかし、当時の資料の焼却、散逸と、残された資料の「未公開」「隠蔽」のために、その全貌は未だに明らかではなく、検証は容易ではありません。731 部隊と細菌戦に関しては、当時日本を占領したGHQ(連合軍総司令部)は、関係した多くの医学者・医師に対する訊問をしましたが、研究成果を独占するために戦争犯罪を不問とする取引をしました。このような経緯により、日本の医学会・医師会では「真相は不明」「解決済み」あるいは「タブー」とされ、戦時中の医学者・医師による非人道的行為に真摯に向き合い教訓を活かす取り組みがなされないまま、日本は 21 世紀を迎えました。
かつての戦争中における医学者・医師の非人道的行為について、史実を明らかにし、検証を進めることは、医の倫理の確立やこれからの医学・医療のために欠かせません。しかし、日本では、日中戦争に関わる資料の公開が、現在までのところ極めて不十分かつ不透明な状態にとどまっています。戦後 60 年以上が経過し、関係する生存者の証言や当時の資料収集も困難になる中で、検証を進めることが急がれています。なかでも、731 部隊と細菌戦に関するものは公開されることが稀であり、そのため事実の解明にとって大きな障害になっています。
ところで、厚生労働省社会・援護局業務課は 2010 年 3 月に、資料の公開と後世への伝承を図るため、保管していた戦没者等援護関係の資料を、原則として戦後 70 周年にあたる 2015 年度までの 5 年間に、国立公文書館に移管することを発表しました。移管される文書に記載された人数は延べ約 2000万とのことです。防疫給水という名のついた部隊の留守名簿も多数あることがわかりました。移管はほぼ予定とおりに実行され、来年には全目録が開示されるものと考えられます。
しかしながら、この間の公文書館文書調査で、以下の問題が明らかになりました。
1. 防疫給水部隊名簿類の開示可否の審査は、申請受付後、長い場合 1 年半以上を要するとされていること。
これはその他の公文書の審査に比べてきわめて長く、厚生労働省が名簿類の公開に踏み切った趣旨に反するものではないかと考えます。
2. 名簿の記載内容に大差がないにもかかわらず、659 部隊、1855 部隊、9420 部隊などについては、原簿の多くの項目についてマスクされ、それらのモノクロの複製物の閲覧か複写しか認められないこと。
その理由は「公文書管理法第 16 条第 1 項第 1 号イ(親族⦅留守担当者⦆を特定する情報、戦犯とその親族を特定する情報は、個人に関する情報であり、時の経過を考慮してもなお、公にすることにより、個人の権利利益を害するおそれがあるため)」「多数の利用制限情報があり、当該該情報が記載されている範囲を被覆する方法で原本を利用に供することが困難なため」とされていました。ところがその後公開された他の名簿については、特にそのような制限もなく、閲覧でき、カラー複写も提供されています。なぜこのようの異なる管理が行われるのかは、審査請求者には説明がありません。
本会は、以上の問題が速やかに解決されなければならないと考えます。
2016 年 11 月 23 日
15 年戦争と日本の医学医療研究会幹事会
幹事長 刈田啓史郎(東北大学元教授)
連絡先:〒604-8454 京都市中京区西ノ京小堀池町 5-2 近畿高等看護専門学校
E-mail: warandmedicine@aol.com, FAX: 075(802)0690, URL: http://war-medicine-ethics.com/