第48回研究会の講演と一般演題の抄録は次の通りです。
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講演
「15年戦争と日本の医学医療研究会20年のあゆみー成果と課題」
西山勝夫氏(前15年戦争と日本の医学医療研究会 事務局長)
戦争と医学医療研究会が、15年戦争と日本の医学医療研究会(以下、戦医研)を継承して、新体制で出発したことは望外のことである。会の今後に役立てばと願って、戦医研創立準備期から事務局を担当した者として、草創から戦争と医学医療研究会への移行までの約20年間を振り返りさせていただきたい。
準備会(第1回)は、1999年12月9日に、莇昭三、門脇一郎、西山勝夫、山下節義、水野洋により開催された。研究会の仮称、どの学会からも独立した研究会として早期に立ち上げることなどが相談された。ミレニアムの1月には、6月17日に同志社大学で研究会創立と決まった。
4月9日の準備会(第2回)を経て、設立趣意書が発出され、予定とおり創立総会は開催され、45名の参加があった。莇の記念講演「15年戦争と日本の医療」、一般演題6題の後、会務総会で「創立議事」が進められた。
調査研究課題には、1) 日本の医学医療が軍事化した経過2) 医学医療の軍事化に積極的に協力し進めた学会や医学者、協力を拒否した人々の経緯3) 研究課題の軍事的な制約、戦時体制からくる研究費や研究員等の研究体制の制約による医学医療の歪みや停滞4) 欧米諸国との交流の断絶による日本の医学医療の停滞5) 戦時体制による日本の医療の崩壊などがあげられた。会則では「15年戦争をめぐる日本の医学医療界の責任の解明を目的とする」ことが定められた。
当初の課題や会の目的の達成状況を明らかにするために、戦医研の主な活動を年表にまとめた。さらに、会員の構成、会誌刊行、日本学術会議との関係、東京や地方での例会開催、支部の設立、個々の大学と戦争のかかわりに関する取り組み、「戦争と医学」訪中調査、陸軍軍医学校防疫研究報告プロジェクトチーム、文部科学省科学研究費補助金助成、日本医師会への要請、「戦争と医の倫理」の検証を進める会や軍学共同反対連絡会への参加、会の存続などの項目ごとに振り返り、今後の課題を論じたい。
一般演題
1. 21世紀に残る731部隊の揺曳としての岡本国際賞
― 岡本耕造の研究業績と731部隊との関係の検証―
莇 也寸志氏(城北診療所)
1987年に岡本耕造の功績を記念して岡本国際賞が創設され、現在まで世界の著名な研究者が毎年この賞を受賞している。戦中・戦後の研究業績と本人・関係者の証言を基に、731部隊での研究活動と戦後に731部隊とどのように向き合ったかを検証した。生体染色から高血圧自然発症ラットの確立に至る一連の研究の端緒は731部隊在籍中にあった。同部隊在籍中の膵ラ氏島の亜鉛の発見と肝臓・脾臓のマラリア色素の局在を示す論文では、研究材料の屍体の由来について、死因(臨床と病理診断)の記載がないこと、1例を除きすべて男性でかつ20歳台が多数を占めている、年齢不詳者が含まれるなど、不審な点が存在した。対外的には同部隊在籍歴を隠蔽し、生体実験(解剖)への関与を否定する。一方で、医学界の中では知見のOriginalityを誇示し、戦後の論文で「ラ氏島における亜鉛の発見」に関する論文を何度も引用していた。以上から二面性を有し、国際賞の名に値する人物ではない。
一般演題
2.日本外科学会と戦争
横山 隆氏(城北病院)
「日本外科学会総会第100回記念誌」などを参考に関連する書物から当時の学会活動を調査。総会会長に第2,3,4,13,17回は軍医総監が就任。1931年以降の学会主題に軍陣医学の影響が色濃く出ている。1933年34回総会では陸軍軍医学校教官の講演、35年36回総会では凍傷、乾燥血輸血、脊椎外傷など軍陣医学の演題発表、36年37回総会では異種動物輸血に発展。38年39回総会前の評議員会に陸海軍部代表を招聘し、次回総会は戦傷外科を主題と決定。39年40回総会、第3日目は宿題演説の止血、輸血の演題が多数。41年42回総会では「腹部射創」「内臓留弾」など戦争と直接関連した演題が増加。42年43回は軍陣医学会と外科学会の連合集会を初めて開催。1944年は開催中止。戦後、戦争中の医学犯罪への外科学会としての言及は見られない。1949年、日本医師会は世界医師会の加盟前に戦争中の医学犯罪に対し極めて曖昧な認識と見解を表明。戦争の進展に伴い外科学会も軍学共同をより強固にし、それに伴い倫理も崩壊していった。