戦争と医学医療研究会2021年秋の研究集会のご案内

2021/10/01

研究集会・研究会

戦争と医学医療研究会第47回定例研究会 2021年秋の研究集会

 
 戦争と医学医療研究会の研究集会を以下の要領で開催します。新型コロナウイルス感染蔓延のため2年ぶりの研究会開催となります。皆さんのご参加と活発なご討論をよろしくお願いします。

2021年10月1日 
戦争と医学医療研究会 世話人会

【日 程】2021年11月28日(日)午後1時~5時 
【様 式】ZOOMによるオンライン開催
【参加費】無料
【参加申込み】会員及び会員以外の戦争と医学医療に関心のある方の参加を歓迎します。参加申込みは下記のフォームからお願します(〆切11月26日)。
https://forms.gle/e5Le7XkQFkpK3n2z5
参加を申し込まれた方に抄録、配付資料をメールでお送りします。またZoomのURLは11月27日にメールでお送りします。

【一般演題発表の募集】4演題(1演題 発表15分+質疑5分) 
演題発表を希望される方は上記の参加申込みフォームに記入ください。発表の申し込みは10月15日締め切り、採否の通知は10月20日です。締め切りは10月17日に変更しました。

【プログラム】
12:45 開場 ZOOM接続開始   
13:00 開催宣言 
13:05 戦争と医学医療研究会 代表挨拶(世話人会代表 横山隆)
13:10 第1部

記念講演 1 猫塚義夫氏
「パレスチナ医療支援:戦争・軍事支配・人権侵害・民族絶滅そして人間の尊厳」
 
記念講演 2 西里扶甬子氏
「731部隊は奉天連合軍捕虜収容所で何をしていたのか?~真相と隠蔽~(仮題)」
 
15:15 休憩
15:30 第2部 一般演題    
16:30 事務局連絡
17:00 閉会の挨拶  
******* 番外 *********
17:00 ZOOM 懇親会 30分

【問い合わせ】戦争と医学医療研究会事務局

講演の概要

講演1 
「パレスチナ医療支援:戦争・軍事支配・人権侵害・民族絶滅そして人間の尊厳」

演者:猫塚義夫氏

(新川新道整形外科病院・院長 / 勤医協札幌病院・整形外科*「北海道パレスチナ医療奉仕団」団長*「医療9条の会・北海道」共同代表*札幌医科大学医療人育成センター・非常勤講師*)

 私達「北海道パレスチナ医療奉仕団」は、2009年のイスラエルによる「ガザ地区への軍事侵攻」に反対する市民運動の中から2010年7月に設立された国際NGO団体です。
 2011年2月から以後13次にわたる現地パレスチナ、ヨルダン川西岸・東エルサレムと「ガザ地区」で医療支援活動を行い、2015年からは活動内容を子供支援活動にまで拡大し今日に至っています。 
 パレスチナ・イスラエル問題は、1948年のイスラエルの侵略的建国の結果、約70万人のパレスチナ難民が発生させられたことに起因します。以後1967年「第3次中東戦争」にてヨルダン川西岸はイスラエルの軍事支配下に置かれ、人口200万人のガザ地区は2007年からイスラエル軍による完全封鎖の状況になっています。
 この間、ガザ地区では2009年、2014年そして2021年にイスラエル軍による陸・海・空軍からの侵攻で1500~2500人の死者とその数倍に及ぶけが人が生み出されました。のみならず、病院、学校、住居などの破壊はその復興に多大な負荷を完全封鎖が続くガザ地区に与えてきました。
 2018年7月にはWHOからの要請で、イスラエルとガザ地区の境界で起こってた「祖国への復帰大行進」時にイスラエル軍からの銃撃で負傷したパレスチナ人の救済を目的にヨーロッパガザ病院で手術支援を行いました。
 こうして、イスラエル軍による定期的な軍事侵攻を繰り返されるガザ地区は、それ以外にも日常的にイスラエル軍の監視下に置かれ、ほぼ毎週空からのミサイル攻撃の恐怖ものもとに暮らさざるを得ないのです。
 そうした戦場下でのガザ地区では経済が疲弊し若者の失業率は70%となり、15歳以下の住人は、まさに「戦争しか知らない子供」となっています。
 コロナ禍の苦しむ2021年5月に起きた「11日間のガザ侵攻」では、避難先の学校にまでイスラエル軍の攻撃があり、多くの子供たちの心理的負荷がこれまで以上に指摘されています。また、イスラエル軍はAIを駆使した初めての戦争への実験場にも用いられました。
 戦乱とイスラエルの軍事支配が続く、パレスチナとガザ地区の現状と私達の活動を報告いたします。

講演2 
「731部隊は奉天連合軍捕虜収容所で何をしていたのか?~真相と隠蔽~(仮題)」

演者: 西里扶甬子氏

(ジャーナリスト)

 大日本帝国軍は1941年12月真珠湾攻撃で太平洋戦争に突入したが、実は同時にマレー半島、香港、フィリピンなどの英米のアジアの拠点を攻撃した。緒戦において大勝した日本は14万人に及ぶ連合軍将兵を捕虜とした。連合軍との公式の戦線がなかった中国にも捕虜収容所が作られた。植民地や占領下にあった、台湾、香港、海南島そして在留していた敵国人を強制収容した上海、北京などとは別に、関東軍に支配されていた傀儡国家満州国の奉天(現瀋陽)には、バターン・コレヒドールで降伏した米軍捕虜約1400名、シンガポールの英軍捕虜100名が移送された。熱帯の東南アジアから極寒の満州へ彼らを移送した目的は何だったのか、未だに回答は出ていない。哈爾浜の細菌戦部隊731が関東軍総司令官の作戦命令による公務として奉天捕虜収容所に出動していることはあきらかになった。その目的は細菌兵器の人体実験であったのかどうか、公文書や証言を下に検証したい。防疫給水部という仮面を被った生物戦部隊の幹部隊員や、軍嘱託という身分で人間モルモットを利用した医学者・科学者たちは、戦後研究・実験データを秘かに米軍に提供することで免罪された。BC級戦犯として裁かれたケースの半分以上は捕虜収容所関連だった。250名という死者を出している奉天捕虜収容所については、俘虜情報局が、日報あるいは月報として掌握していた実態を伝える文書が例外なく焼却されてしまったのか、ほとんど出てきていない。シンガポールには南方軍防疫給水部も設置され、連合軍との戦闘において生物兵器を使う想定があったのは事実だった。極東戦犯裁判の陰で細菌戦部隊の犯罪者たちが如何に守られたのかという記録は1992年2月極秘解除となった対敵諜報部「ISHII FILE」に刻々と記されている。武器を捨て降伏した無抵抗の捕虜たちを人間モルモットとした者たちと取引して免罪するということは、国家的安全保障上必要であったとしても、アメリカ国民とりわけ犠牲者の遺族には知られたくない事実だった。