2026春の定例研究会(3月22日、京都大学文学部新館2階 文学部第7講義室、Zoom会議室併用)の一般演題の抄録は次の通りです(発表順、1演題が取り下げとなり3演題となりました)。開催要領の詳細と参加申し込みはこちらのページをごらんください。
関東軍で細菌戦を担当していた 大本営参謀 朝枝繁春
西里扶甬子(ジャーナリスト)
朝枝は日本が傀儡政権満州国を建国した後の1933年陸軍士官学校を卒業、陸軍大学に学び、1939年に卒業している。1941年12月の太平洋戦争勃発時には、マレー作戦に従事。翌1942年には関東軍作戦参謀に就任している。翌年にはソ連出張と称して当時敵視していたソ連を視察している。1944年には大本営作戦参謀に転じ、瀬島龍三と机を並べ、終戦に至る。終戦の年の8月9日ソ連参戦の翌日独断で満州に飛び、731部隊隊長に戻っていた石井四郎中将を新京の飛行場までよびだして、細菌戦部隊のすべての証拠を隠滅するように指示する。
敗戦後参謀総長の特命をうけた「軍使」として再度渡満するが、新京の飛行場でソ連の空挺部隊に捕獲され、関東軍総参謀長らと共に抑留。8月、9月上旬までは終戦工作、731部隊隠しの口裏合わせなどに終始。結局4年の抑留生活を経て、1949年8月帰国、復員後はソ連通として、GHQ(マッカ―サー/ウィロビ―)に接近、商社勤めなどで戦後を生き抜く。
朝枝は、辻政信や瀬島龍三など陸軍参謀仲間の特異な人物についての貴重な証言者でもあるが、今回は1998年自宅療養中の朝枝にインタビューした時の映像を使って、731部隊に関連する部分を取り上げて紹介したい。
医歯薬出版・週刊『医学のあゆみ』連載「戦争と医学・医療」について
横山 隆(石川勤労者医療協会 羽咋診療所所長)
原爆被爆者のトラウマとライフヒストリー -海外での証言活動の事例から-
板谷めぐみ 京都大学大学院人間・環境学研究科文化人類学分野
本研究は、日本における戦争トラウマ研究が1990年代以降に本格化し、国際的動向と比較して立ち遅れてきたという問題意識を出発点とする。とりわけ本発表では、広島で被爆した橋爪文のライフストーリーと、ニュージーランドやヨーロッパ諸国など海外での証言活動に焦点を当てる。
橋爪氏は被爆者団体には所属せず、70歳以降に個人として海外で証言活動を行うようになった。その背景には、戦後長期にわたる被爆症の身体的苦痛や治療経験、トラウマの問題、さらに女性のジェンダー役割に規定された証言活動の制限など、複合的な要因が存在していた。こうした状況を経て高齢期に海外へと赴いたことは、彼女にとって新たな語りの場の獲得でもあった。
本発表では、とりわけ被爆国ではない他国の人々との交流経験に注目する。国内の言説空間とは異なる文脈の中で語ることは、記憶の位置づけや意味づけを再編する契機となりうる。そこで、文化的集合記憶の視点から、橋爪氏がいかにして自身のトラウマと向き合い、それと折り合いをつけてきたのかを検討する。
さらに、Atomic Bomb Casualty Commission(ABCC)へのカルテ開示請求や、放射線影響研究所(RERF)への再訪といった経験にも着目する。これらは、自らの「被爆した身体」と改めて対峙する実践であり、被爆者として生きることを内在化する過程でもあった。同時に、原爆の実態を科学的・歴史的に知ることは、トラウマの再活性化のみならず、その昇華へつながる可能性をも孕んでいる。本研究は、こうした個人史と国際的記憶空間の交錯の中に、トラウマの再編過程を読み解くことを目的とする。