総会・定例研究会の一般演題の抄録

2024/03/12

研究集会・研究会 総会

  第25回総会・第52回定例研究会(3月24日・大阪府保険医会館、Zoom会議室併用)の開催概要と参加申し込みはこちらのページをごらんください。

イスラエルによるガザへの軍事進攻の実状 in 2023∼2024年

猫塚義夫(勤医協札幌病院整形外科、北海道パレスチナ医療奉仕団団長)

 2023年10月7日、ハマスの越境侵攻を口実にイスラエルはそのせん滅をかかげて、ガザ地区への軍事侵攻を開始。そもそもイスラエルによる完全封鎖が16年以上も続いているガザ地区には、イスラエルに対する不満と抗議が極限に達し越境はそれへの抵抗権行使の意味もありました。

 以後、約5か月にわたる軍事攻撃で、ガザ住民に人的社会的に甚大な被害が出されています。欧州地中海人権モニターによれば、死者38,066人、医療従事者756人(犠牲326人)医療施設被害(病院28、クリニック65、外来163)救急隊員184人(犠牲41人)となっています。

 また、医薬品の欠乏は帝王切開や四肢の切断を無麻酔下で施行せざるを状況に追い込まれています。かねてから水や食料の不足で住民の1/4が栄養不足でしたが、すでに限界を超え餓死者の報告が出ています。

 生活環境の悪化が一層進行し、150万人が押し寄せている最南端ラファでは人口過密状況で呼吸器感染が発生。トイレ不足下では、雨季と相まって固形汚染物が流出し、下痢やA型肝炎の流行が危惧、長びく戦乱下でメンタルヘルスの深刻化も危惧されています。

 一方、UNRWAに対して職員のハマスへの「協力疑惑」による資金供出停止は、パレスチナ難民の医療・教育などを担ってきた活動を破壊するものであります。

 こうした事態にあたり、人間の生命と尊厳を守る医療者として、一時も早い完全停戦を求め行動することが大切です。


「日中口述歴史・文化研究会」と『いま語るべき日中戦争』発刊の経緯と意義

李素楨、干場辰夫、森彪

1、「日中口述歴史・文化研究会」研究会設立の経緯
 本研究会の発足人の一人である李素楨が、博士論文「旧満州における日本人の教育に関する研究」を執筆するに際して、かつて旧満州に住んでいた多くの日本人の方々に10年間インタビューを行って、語った「口述証言」は歴史書にも書かれていない衝撃的な内容だった。このことをさらに広く深く拾い集め後世に残したいと考え、本会前会長李の博士指導教授植田渥雄等賛同を得て本研究会を2007年3月創立した。

2、研究会の目的、特徴
 歴史教科書に書かれていない民衆の生の記憶から史実を掘り起こし、ありのままの歴史を後世に伝えるとともに、これまでの歴史研究の空白を埋め、隠された事実を解明する。

3、研究会の開催
 2007年~2023年の17年間、合計46回会証言講演研究大会、コロナ期間オンラインで3回。参加者は少ない会でも50人以上であり、多い会では中国中央テレビの生放送を通じて5000万人が視聴していた。

4、研究会が取り上げたテーマと口述証言
 ①三光作戦、②細菌戦、③慰安婦、④徴用工、⑤満蒙開拓団、⑥「五族協和」のスローガン⑦盗測地図、⑧「軍事郵便」・戦地日記、⑨軍国主義教育 ⑩日本人捕虜の思想変容、⑪文化侵略と思想殖民 ⑫父達(参戦した男)の戦争足跡の検証 ⑬口述歴史学方法論など。それらの内容をまとめて戦争体験を後世に伝え、戦争を二度と起こさせないように研究会15周年記念文集『いま語るべき日中戦争』を出版となった。

5、今後の課題と戦医会に呼びかけとインタビューの困難「集団失憶」
 ①若者たちの育成。②口述証言を整理、データベース化③世界文化遺産の記憶遺産への登録を目指す。④動物細菌戦に深く追跡。特に、戦後の獣医師の高い地位、報奨、学位についての指摘をも今後の課題としよう。

 本日、戦医会第25回総会の開催の契機に、戦医研の皆さんに、軍馬などの動物の細菌戦に従事する獣医師を追跡するために、私たちと手を組んで研究を進めていただきたいとかんがえる。

6、『いま語るべき日中戦争』の紹介、2023年2月15日、同時代出版社、3章の構成。


仏教者佐藤大雄と細菌戦

末永恵子

 日中戦争中の1938年、給水業務を主要任務とする防疫給水部隊合計18個が臨時編成され、中国大陸に投入された。軍医少佐佐藤大雄(1898年-1975年)は、その中の第4防疫給水部の部隊長をつとめ、さらに中支那防疫給水部本部の第一科(非人道的人体実験や細菌戦謀略の研究を行った部署)の科長を歴任した、石井機関のいわば中堅幹部である。彼は、細菌兵器の研究を行い、その成果により九州帝国大学より学位を取得した研究者でもあった。

 いっぽうで彼は、若いころから浄土真宗の信者で、いかに生きるべきかを真剣に考えていた求道者でもあった。当初は僧侶を目指して佛教大学に進学したものの、途中で進路を変更し、「医術によって、人々の生命を守り、共に救われの世界を喜こび合う事」(佐藤大雄「親鸞のおこころに慰められつゝ」)に人生を捧げようと、医学部に入学し、医師となったのである。

 彼は、いったいどのように戦時期を送り、さらに戦後を生きたのだろうか。本発表ではその履歴を紹介したい。


大学を軍事研究に巻き込む安全保障技術研究推進制度の検証--1930年代との比較

大野義一朗(北海道立天売診療所) 

 【目的】15年戦争では多くの大学・医学研究者が戦争に加担した。戦後、日本学術会議は軍事研究を行わない声明をだして再出発した。戦後79年となる現在の大学と軍事研究の関係について検討した。

 【方法】防衛省の安全保障技術研究推進制度(本制度)に2023年度は23大学が応募し北海道大学の災害医療に関する研究など4大学5研究が採択された。4大学に軍学共同反対連絡会がおこなった質問と大学の回答をもとに大学と軍事研究の関係を検討した。

 【結果】本制度は①防衛分野の研究開発に資する研究、②防衛費が原資、③防衛装備庁の職員が研究の進捗管理にかかわることから軍事研究に該当する。4大学は軍事研究は行わないと回答しながら、軍事防衛機関からの潤沢な資金を利用可能にする学内規定を設け、軍事研究であっても民生的活用ができるものは容認していた。

 【考察】1930年代、大学の研究費不足を補うため学術振興会助成金、文部省科学研究費助成がはじまり高額の研究費を提供した。当初は基礎研究を対象とし大学の参加を促し、徐々に軍事研究に限定され大学が軍事研究に取り込まれていった。その経過は本制度と大学の関係を考える参考となろう。